中学・高校で習う「平家物語」は中世尼崎の
大覺寺市庭ゆかりの、覚一検校が完成させた
「覚一本・平家物語」です。
 覚一検校は、足利幕府との関係を強めながら、
当道座(とうどうざ:琵琶法師の職能団体)の
組織を整備した琵琶法師の巨匠です。
 尼崎寺町の大覺寺には、「覚一本平語相伝次第」(かくいちぼんへいごそうでんし
だい:兵庫県重要文化財・室町時代書写)と呼ばれる覚一検校と平家物語の伝来に関
わる古文書が残されています。
又、大覺寺と足利幕府との関係も深く、足利二代将軍義詮(よしあきら)が半年間在
陣し、大覺寺城とも呼ばれ後伏見上皇の皇子・量仁親王(かずひとしんのう:光厳天
皇)の降誕祈願を行った記録も残っています。


 現在、大覺寺に残る慶長20年の棟札を持つ
弁才天堂は、鎌倉時代末期の絵図によれば、中
世都市尼崎の母体であった大覺寺市庭の鎮守神
であり、彼ら琵琶法師の守護神でもありまし
た。 平成7年の阪神・淡路大震災で被害を受
けましたが、復興を機に大仏師・松本明慶師の
手によって、宇賀八臂弁才天と十六童子さら
に、脇侍佛の大黒天・毘沙門天を奉安いたしま
した。
 亦、これとは別に、鳴尾の沖で海賊に「検校」けんぎょう(盲目の僧の最上位の官
名)の資格を得るための大金を奪い、殺したその報いで我が子を海にさらわれてしま
い、その琵琶法師と子供の供養のために海賊夫婦が、大覺寺に閻魔十王を安置し、業
悪善事を以て報いることから「返之堂」(かえすのどう)と呼ばれるお堂を施入しま
した。江戸時代の「摂陽群談」「摂津名所図絵」などにも登場する有名なお堂です。
このように中世・琵琶法師とも浅からぬ縁を持つ当寺の弁才天は、学芸上達、財運増
長、商売繁盛、又、美しい弁才天にあやかって特に女性の病・悩み・さらにはできも
のなどの皮膚の病の治癒に効験が有るとして信仰されて来ました。


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