〜 大覺寺の沿革 〜

覺寺の創建は、推古13年(605年)に聖徳太子が百済の高僧日羅上人に命じ
られて長州の浦(現在の大物)に建立された「燈炉堂」が起源と言われています。
本尊は十一面千手観世音菩薩で、漁民や海運業者の信仰を集めていました。

北朝・室町時代には、足利二代将軍義詮が半年間在陣し、
大覺寺城として政治 ・ 経済 ・ 文化 ・ 軍事の権力を掌握していました。
後伏見上皇の中宮のご安産祈願を当寺で行い、量仁親王(光厳天皇)
がめでたく誕生され、大がかりな祝典があげられた記録も残されています。

和10年(1315年)の大覺寺絵図からは、建立当時の様子がうかがえます。
元和3年(1617年)築城に伴い、現在の寺町に移転し、尼崎藩領などの
安寧豊楽を祈願する御祈祷所としての役割を担ってきました。

治10年(1877年)より、二度にわたる大火に見舞われ、
昭和13年に現在の関西初の桃山様式鉄筋コンクリートの本堂が再建されました。
所蔵文書の内、正和2年から天正17年までの中世文書五十六点は、 県指定文化
財に指定されています。

成七年の阪神・淡路大震災では一部建物が被害を受けましたが、
早期に復旧いたしました。
その後、平成11年には大覺寺文書にも登場する閻魔曼荼羅を祀る閻魔十王像。
大覺寺狂言に出家座頭狂言「十王堂」を加え、弁財天堂修復に伴い、
新たに弁財天像と十六童子像を奉安しました。


〜 閻魔十王像謹刻によせて 〜

大仏師 松 本 明 慶

閻魔堂の中に祀られ、庶民に閻魔さんと親しく呼ばれて根ずいた閻魔信仰。

平安時代から鎌倉時代にかけて、
閻魔十王はよく彫刻されましたが、現存する多くは、江戸時代の作品です。

十王像すべてが残っている場合は少なく、優れた作品を目にすることは稀でしょう。



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